■ハンス・ベルメールのAutograph
せんだって、わたしがつねづね鍾愛してやまない数ある画家の中でも、とりわけヴォルスと並んでもっとも蒐集に力を入れているハンス・ベルメールのコレクションに、遂にフランスのパリにあるジャン・エチエンヌ・ユレ書店Librairie
Jean Etienne Huretからの待望の注文品がくわえられることとなった。
注文してから凡そ一ヶ月の猶予。
それはまさしく貪婪な断罪者への死刑執行猶予に勝るとも劣らぬ苦痛であり、快感である。〈MEMENT
MORI〉の画家、ベルメールの成せる業。そしてベルメールが生きた時代に遅れてしまった者の特権。
かつての画家の息衝きや脈動を偲ぶことのできる美術品を、労働の対価によってかちえることの貧乏人の愉しみと醍醐味を味わえるのは、この執行猶予と、もうひとつ、作品と邂逅を果たし、お気に召した額装にほどこし、あらためて自らのもの、ただひとりの、自分だけの愛玩物・隷属対象にせしめ、小さく、深く感銘の溜息をつく、その一瞬間以外のなにものにもありえない。わたしにとってその一瞬間こそが蒐集の原動力であり、その力点の比重がたとえばベルメールやヴォルスに今や大きく傾いているのである。
ほぼ同時期に、同じくフランスはさる地方のクレメンス書店Librairie
Clemenceauから、シュルレアリストのルイ・アラゴンが無署名で上梓したポルノグラフィ『イレーヌの女陰』「稀覯本倶楽部」版、ベルメール銅版画一葉入の限定700部本(”Le
con d’irene” par ****[Louis Aragon], Cercle du Livre
precieux, 1962.)※もコレクションにくわわったが、残念ながらこれもかなうまい。待望の一品、それはベルメールの直筆書簡である。
こんにち、海皮の古書肆の間では、画家の筆跡というものはオートグラフAutographといういちジャンルをもうけられ、(かつて作家たちの書簡などがそうであったような)もっぱら資料的価値のみ限らず、美術的価値を含むものとして版画と同等、いやそれ以上に画家自身の息吹きをわれわれに与するものと目され、評価されている。
ちかごろ届けられた、シュルレアリスムの書物や版画をもっぱらあつかっている、同じパリはセーヌ通りに店を構える老舗中の老舗ベルナール・ロリエ書店Librairie
Bernard Rolierのカタログにて売り出されたベルメールの直筆書簡都合10通についても、日本円にしておよそ300万円という破格の高値とあって、臍を噛む思いをしながらも、どうしようもないと途方に暮れ、他人の手に渡ってしまうのであろう高嶺の花を傍目に、優雅に――を装って――小さく溜息混じりに肩をすくめてやりすごすことしか私にはできず、なんともいえない貧乏人の苦汁を嘗めた思い出がなまじ浅からぬその傷痕をのこしていた矢先のことであった。
だが、臥薪嘗胆、ついにベルメールの初の肉筆作品をもつ栄誉に浴することが叶った。これほど嬉しいことはない。
しかしそれにしても、いまもなお記憶に鮮明な、かのブルトン・コレクションの競売総売立によって、およそシュルレアリスムに属するであろう美術品や挿絵本が軒並み高騰をみせているなかでも、ベルメールはいっとう右肩上がりというやつで、ブルトンの書簡一通がだいたい15万円前後という相場ひとつとってみても、その人気はブルトン以上に拍車がかかっていることは先のとおりだ。
件の書簡は1947年、ベルメールの盟友で美術評論家サラーヌ・アレクサンドリアンSarane
Alexandrianの友人にあたるFemme surrealiste、かつてアンドレ・ブルトン編纂による『黒いユーモア』の1940年サジテール版にもあまたのデッサンを寄せたマドレーヌ・ノヴァリナMadeleine
Novarinaに宛てたもので、アレキサンドリアン編纂による彼女の画集(“Madeleine
Novarina” les Editions de l'Amateur, paris, 1992.)にも部分的に引用されている(p.39)。4月26日付。ギャルリ・デュ・リュクサンブールで催された彼の個展に来廊したノヴァリナへの感謝状である。
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オートグラフの価値の如何については、いままで蒐集家の《効用》云々、流通市場の《需要》云々のみでお茶を濁された感が否めない。そこで或るコレクターに伺った話を元に、我田引水ながらもここにオートグラフの価値の判断基準を手短に纏めてみようとおもう。
なによりも真筆であるかどうか?
それには購入先の書肆やオークションなど、出所の優良不良とともに、書簡であれば日付と宛名、そして内容がその真筆のものをいう、そして筆跡および署名がむろん本人のそれと一致することである。封筒の有無は若干価値を高めるにとどまるが、消印や切手、住所などの記載によってその真筆の可能性を飛躍的に上昇させる鍵を握っていることだろう。
そして価値の優劣は?
これは先の真贋の内容と混淆するが、その内容の優劣、重要度が第一であり、第二に資料的稀少性(画集や学術的資料、研究書、カタログ・レゾネ、全集などにおいて未発表であるか?)が問われ、第三にその筆者の生涯において重要な時期のものであるか否か、そして第四に状態、といった具合であろう。この四つの価値尺度そのものは若干の優劣があるものの、基本的にはいずれもが欠くべからざる並行的存在であるといえる。
(続く。後半はメルマガ「肺」第六号に掲載後、「肺々」に四月ごろ転載致します。)
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