地に人、マッタの神話

――ロベルト・マッタの版画

 

 

秋元汀

 

 

 

 

 彼曰く、《目を閉じてものを見ること》・・・・・・その暗黒の沈思の世界で明滅する光線、それは原風景にたちこめる一縷の光明、それをほとんど非確率論的な自由さで鷲掴みにし、それが描き上げる軌道、尾を引く、現実やそこにいたるまでの歴史の、直截な、或いはいびつに撓んだ〈内的体験〉(バタイユ)・・・・・・それらが縦横無尽にそれを見ようとする欲望という名の鏡の地獄を、さらに突き破ってみせ・まじわらせる、その剣戟の一点、現実と超現実とのはざまの一点。それはかようの欲望のまなざしで潤色される・・・・・・。

 

 

ロベルト・マッタの絵画は未来的であり原初的である、こう端的に述べて私は臆することがない。とりわけ四十年代から五十年代のものは、ときにはこうした曲線と直線の収斂と剣戟が、一種機械化時代の終末地点のそれであるかのような幾何学的未来世界を描いてみせ、うつろに澱みきった、青や灰、焦茶や黒の背景の下で、主軸を喪失し所在なげに宙吊りにされ、その余白をただ不穏に管理しようとしているかのようである。――たとえば或る一枚・・・・・・

まるでそうした余白、沈思という意識の鏡にうつる二次元の世界――ただしそれはけっして薄っぺらな・表象的な現実をのみうつしだすものではない――を、欲望によって陶冶しようとするがごとく、うつろに中心を切り裂くように太く刻み込まれた軸。それをめぐって同心円をえがく球体や、その輪郭さえもうかがわせぬ動体、さらにその変動線と放物線の軌跡、だが、あえて進言させていただければ、その変動線はいうまでもなく、画家がそれを捉えようとしたからうまれたもので、現実にはその軌道が光の粒子を綿密に組織してたちあらわれるわけがない。まさに《不在の中心としての恒星を巡る衛星郡》(ブルトン)のようだ。〈主〉と〈他者〉の相姦と逆説の解剖図。そしてその軌道上にそれさえも支配しようとする無数の鏡のような平面が、平行励起し明滅している・・・・・・。一九六二年刊行された銅版画集『意味ありげな言葉のごとく』COME DETTA DENTRO VO SIGNIFICAND,Lausanne Editions Meyerを見よ。さようのとおりマッタには銅版画がこの上もなくよく似合う。そしてさらに十年の歳月をへて上梓されることとなる『解放された右の腕』DROITES LIBEREES,segherth,1971に至るまで、その背景はつねに平坦で、虚無的だ。奥行きのない、どんよりと澱み、あまつさえ腐蝕しかねない、時間さえも凍結した、絶対零度の想い出、そのまなざしの彼方で化石化し形骸化した現実・・・・・・幼年時代のとりどりの品が無尽蔵に集積し、増殖する氾濫の過去とその合わせ鏡の未来。

マッタに曰く、「私は幼少時代のおり、画家が往々にしてそうであるような、絵画に対する飽くなき追及を、ついになさなかった」と。まさに《目を閉じて》ものを思い描いた少年。「私はこの絵が自分のものだということも、或いはそれを自分が制作していることさえも、感じてはいない」・・・・・・或いはこうとまで託宣するマッタのうちには、けだし作品の完了(署名)とともに画家とその作品が完全に別個のものとして、ひとつの世界の終焉と完了をみることへの、ダダっ子のような?韜晦的否定があるに違いあるまい。作品と画家、虚偽と超現実の邂逅と訣別のたえざる相姦めいた因果。「仮に私が嘗て生きていたというのなら、おそらく今は小説の中の登場人物になっていよう」。

 

 

もう一つの興味深い断章。マッタは、自身によれば、その文学的モチーフにかんしてはレーモン・ルーセルによって決定的啓示を受けたと語っている。「私が画家としてではなく、寧ろレーモン・ルーセルの『ロクス・ソルス』のように、生の地図と世界の地図を探し求めていることは自明の理だ」。『ロクス・ソルス』、『アフリカの印象』の作家、機械崇拝の狂信者、レーモン・ルーセル――その『ロクス・ソルス』の芝居を観劇した、矍鑠謹厳のカトリック、フランソワ・モーリャックの、いささか冷静を欠いた周章狼狽ぶりが一目でうかがえる一文で語られた世界ほど、(ルーセル以上に)マッタ以外あてはまるものなどいようかとさえ思える。「犢の肺臓でしつらえられた鉄道線路、オルセット鯨骨製の車輛、軍服の飾り紐の中に息を吹き込んで喘息もちの参謀将校を治療する場面など・・・・・・そしてここには不条理の中に一種陰鬱な熱狂がひそんでおり、それにたいして私は完全に無感覚ではいられなかったことをここに告白いたしたい」。

こうしたミシェル・カルージュによれば――かのマルセル・デュシャンの未完の大作になぞらえて――《独身者の機械》とも喩えられうる脱自然脱性交の幼児性の具象化が、のちにマッタによってきわめて壮麗で大掛かりな倒錯の人工楽園を創世する経緯は、今断言するのは控えさせていただくものの、きわめて示唆的なものをルーセルによってえていることは明白だ。たとえばルーセルが『アフリカの印象』の原形である短篇「黒人の中で」にて、billard(撞球台)とpillard(盗賊)という一文字のデペイズマンによって「古びた撞球台のクッションに書かれた白墨の文字」「老盗賊の一味にかんする白人からの手紙Le letters du blanc sur les bandes du vieux billard Le letters du blanc sur les bandes du vieux pillard」という二文を作り上げ、それを始点と終点とする一つの作品を描くこと、恐るべき速度でもって既成の概念から隠喩と換喩を抽出し構成すること、すなわち自動筆記(オートマティスム)の方法をマッタはルーセルから受け継いでいる。

しかし、してみるとなるほど、カルージュはデュシャンの作品から《独身者の機械》という想をえ、そのヴァリアントととしてカフカの「流刑地にて」中の「処刑機械」や、アルフレッド・ジャリ『超男性』の「性交機械」、アポリネール「月の王」の「過去遡行機械」、ポー「陥穽と振子」の「振子機械」、リラダン『未来のイヴ』の「自動人形」、ホフマンのその名も「オランピア」などを、とりどりに挙げているが、これらほど、マッタのタブローにたちあらわれる機械郡をいいえて妙であるものもあるまい。

 

 

なかにはマッタのタブロー郡にイヴ・タンギーのそれを想起する向きもあろう。だが、タンギーのそれが、たとえばアンドレ・ブルトンの言うような「羽毛の玉と鉛の球が同じ重さになり、すべてのものが飛び立つこともできれば底に潜ることもでき、また衝突もなしに、正反対のものがぶつかり合うこともできる」、静謐に蔽われながらも、その実烈しい混沌と生成のあわいで揺曳する、たえざる変態の磁場であるとすれば、マッタのそれはあながち時間をめぐる合わせ鏡の《平坦な迷宮》、思索の軌跡の場にも喩えられるのではなかろうか。だいいちタンギーのそれは、地平線さえ描きえぬ広大な肥沃と頽廃とを矛盾せずにあわせもつ砂礫や海底の穹窿上に、《すべてのもの》の原初形があくまで輪郭をとどめたままでゆるゆらとたゆたっているのに対し、マッタのそれは時間停止の世界で運動体そのものがうつろに中心を埋めているのだ。

或いはミロ。だが、彼のタブローには、マッタのたえざる軌跡のそれとは一線を劃す、女や月、星、鳥などふんだんに盛りこんだ、大地への賛歌、スペイン風のたおやかな・暖かい寓話が愉しげに描かれていて、やはりマッタとはまた違った魅力をもって息づいている。「単純さから複雑さへの、装飾のなさから過多(ほとんど、塗りたくられた落書きやプリンプセスト〔すでに書かれた文字を消してその上に新たな文字を書いた羊皮紙〕のような)への、日常的なものから幻惑的なものへのたえざるゆりかえし」(レリス)を描くミロがそこにいる。このすぐあとにご登壇をひかえているマッソンへの、もうひとつのミシェル・レリスの言葉――「ミロは、寓話の作り手であって、たとえばアンドレ・マッソンのような神話の作り手ではない。彼は、私たちに『昔々あるところに・・・・・・』とか『動物達が口をきいていた時代に・・・・・・』と言ってやりだす、おば馬の熱心な愛好家だった」。

「わたくしたちは宇宙の中に存在している。芸術を通じて自分がどこに存在しているのか知らしめようと」画策するマッタ。だがここでいう《宇宙》とは時間や温度の凝結し、その埒外に追放された、或いは解き放たれた超現実(シュルレアル)にほかならない。

 

 

だが、やがてそうした物質の軌跡としての曲線を輪郭として、沈思の宇宙に揺曳する塵や滓のあまたのなかで、柔らかい、暖かげな色彩が俄かにほのめきたち、やおらあからめつつ、脈々と時間と歴史を紡ぐ生命体へと変態をくりかえし、化石化した記憶のなかで、見え隠れしはじめる。一九七〇年代のころだ。たとえばその頃の『解放された右の腕』翌年の版画集『解放された言の葉』MOTS DESSERRE‐FREINS,Editions Georges Visat,1972や、とりわけ観照措くあたわざる七四年の『中心の結び目』CENTRE NOEUD, Alexander Kahan,Georges Visat,1974をご覧になるといい。それは太古の三葉虫時代に凝固し化石化した樹液、いわゆる琥珀の中に閉じ込められている小さな羽虫のごとく不動の姿を呈しつつ、現実と超現実のあわいに生じた亀裂や断層、罅をまるで鏡面効果の相乗を狙っているかのごとく、その姿態を無数に、きらびやかに、とりどりのタブローに、反復させはじめる――それをナスカの地上絵のように、或いはラスコーの壁画のごとく、といっては言い過ぎになろうか。

かのミシェル・レリスがアンドレ・マッソンへのオマージュを草したおりに、かれの絵画を前に《グラフィト》、すなわち原始人たちが岩の壁面に己の屠殺を初めとする〈祝祭〉の現場を落書絵(グラフィック)のように(だが、それゆえに真摯さをます)刻みつけ、しかのみならずその一条の傷痕、彫りこまれた血脈に血をそそぐように彩具をほどこす、かの壁画を垣間見たように、マッタもまた、そうした――寧ろウィフレート・ラムのような、原初世界を紡ぎあげていく。原初世界の創世、神話。「おそらくは線ligneというよりは系譜lignee」の画家、マッソン。先ほどのレリスのみごとな言葉のあまたを念頭におきつつ、もう一つ彼がマッソンに捧げたオマージュを引こう。「稜線lingnes de faite/砲列線lignes de feu/力線lignes de force/たしかに水平線や分水線はない/地口はいっさい抜きにして/境界線や国境になるくらいなら、ほかのなんにでも――神経、動脈、血管、アンテナ、波、繊維、轍、動脈――になるであろう線」。これが〈心理的形態学〉の画家、マッタにはあてはまらないと誰がいいえようか。

 

 

マッソン、ラム或いはルフィーノ・タマヨといった面々はたしかにマッタと一脈通ずるものがあって余りある。だがいっぽうでマッタを除く彼らは屡々、いや往々にしてその時局的側面に――いっぽうではカストロ、いっぽうではフランコ、もういっぽうではヴィシー或いはナチズム、世界大戦といった現実の権力行使の蹂躙を前に――もしくは合わせ鏡のように――災禍の予感漂う不穏な色の余白の真中で(或いはからりと晴れわたりすぎているがゆえに寧ろ不安を掻きたてられずにはいられないその《空の青》の下で)、ディオニュソス的な蕩尽や祝祭を繰りひろげていたり、そうした人間的営為のさまを、おどろおどろしく凝視する異邦の司祭を肖像画めいて描きあげている(ここで嘗てフィデロ・カストロの同士であったカルロス・フランキのラムによせつつも実のところわれわれへの託宣でもある一言――「肝心なのは、危機を緩和することではなく、それがもつ、時代に応じた破局的性質を暴きたてることだ」)、ところがマッタはそうではない。なかんずく彼の七十年以降の版画にたち顕れるかような偶像たちには、先の三氏がこのんで描いていた目や眼球がみられないということは、注目に値する。あのおどろおどろしく白めきたち、官能や惨酷に爛々と光らせる、或いはそれをすら蹂躙しようと画策する目。それを忌避するかのような盲(めしい)の純真なる不具者(かたわ)。

話はいささか長くなるものの、《良心の眼》というフランスの諺に見るとおり、眼球とは道徳の権化であり、抑圧の象徴であるとジョルジュ・バタイユは伝えている(『ドキュマン』の「目」の項を参照されたし)が、さらにバタイユはそうした眼球がいっぽうで――たとえば彼の極めてすぐれた官能的小著『眼球譚』にみられるとおり――色情効果を相乗する一つの象徴であると指摘していて興味深い。バタイユはその半生をオルレアン国立図書館の館長職に捧げており、「ドキュマン」誌主宰の頃、ソリテール版辞典の編纂を請け負っていたという。その際、バタイユは「眼球」の項目に二つの異文(ヴァリアント)の掲載を指示した。一つは文献学的範疇のもので、「眼の印象」と題された、バタイユと同じく、時の隆盛、アンドレ・ブルトンによるシュルレアリスムと真っ向から拮抗したロベール・デスノスによる表現解説文であり、一方ではマルセル・グリオールによる民俗学的解説であり「悪意の眼差しへの信仰」を取り扱っているが、問題はそこで、バタイユの註解によれば、アカデミーの辞書では、あまりに卑俗すぎるという判断の下、《秋波を送る》(faire l’oeil 、フランシス・ミシェル編纂の『隠語辞典』によればこの慣用句は、「淫売のご挨拶」とある)という言い廻しが認められていないことを指摘しているのである。くりかえすようで慙愧に耐えないが、マッタには目がない。それは権力と官能の支配する父性神話からの幼児性退行行為に相違あるまい。「きみは目をとざし、そして心音の拱門をくぐり、きみは己の内に入るために己のうちから出る、心臓は一つの眼である」・・・・・・オクタビオ・パスの、マッタに捧げたみごとな至言の一つだ。

 

 

神話?そう、マッソンによってミシェル・レリスが垣間みた、官能の神話の暁光はだがマッタによってさらなる神話体系を確立したといえよう。どこに?さよう、あえて断言による謗りを覚悟でいってしまうのならばそれは《母権制神話》の創世であり、かのマルセル・ブリヨンがレオノール・フィニーやロメール・ブルックリンのうちに垣間みた神話の苑なのである。だからマッタがfemme surrealisteたるジョイス・マンスール、この『ジュリアス・シーザー』の書き手、ソドムやゴモラにおける背徳的な女性の理想郷を夢みる、異郷の女流作家の詩に類い稀な版画を捧げているのは必然の一致なくしてはありえないだろう。――その名も『地獄堕ち』。

 

膣の痙攣の 炸裂ついで地すべり

縊死人に

舌を呑ませてはだめ

わたしは尾?骨の上に

苦しい打擲をかんじる

おまえの管の白いクリームのなかへ

想いに耽りつつ流れこもう そして

おまえの花冠の湿った背に 肌ぬきの手をすべらそう

野蛮な雪の喇叭もつあなたの鈍色の植物を 傷めつけてやろう

わたしは ゴモラの渦

(巌谷國士訳、一部改変)

 

じっさいマッタの絵に立ち戻ろう。――『中心の結び目』の一枚(どれであろうともいっこうにかまわない)。あえて身の危険を鑑みずに、かの創世記にかんする賢しらな薀蓄を傾けようとはしないものの、嘗て塵から生まれたのと同じように、不穏に凍りつき糜爛からも消滅からも程遠い記憶の塵の中から、まるで土人形のように生まれた、柔らかい色に彩られた生命のどこに肋骨をみいだせよう?その柔和な輪郭とあからめ脈打つ肌の鼓動のどこに男性的な壮健ぶりをみいだせよう?寧ろ子宮そのもののごとくたおやかに余白を遊覧する生命にあわせるかのように、その余白は、情熱的かつ健康的で、官能的な赤にうるみ、或いは息吹きをもち風をなす草木の萌芽をうかがわせる緑の繊毛癬苔の絨毯をいちめんに繰りひろげてみせる。嘗ての不感症的な少年君主の機械世界から、その滅亡ののちのあらたな育み、躍動・・・・・・

 

 

・・・・・・その後の世界は絵にみるとおりだ。七五年の『チリにて』PER IL CILIA, Rome Galleria dell'Ocaや『弓、或いは曖昧な時間』L'arc obscure des heures, Multiplicata S.A・・・・・・そして七十年から自伝的作品としてやがて五つの、いずれも恐るべき密度によって戦慄にたる版画集、その名も『男母(ホ・メロス)』連作に至るまでのタブローたちは、まさしくキリスト教の創世記から、やがて彼が八〇年代にその地へ巡礼することで感応したとおぼしいギリシャ神話まで、その人間的営為のお歴々をもののみごとに模倣し、回帰し、漸近的に刷新してゆくのは火を見るよりも明らかであろう。そしてそのマッタの軌跡の果てには、いうまでもなく当初にみたアポカリプスの再来がマッタを・私たちを待っている。だが、そこには恐るべき倒錯が隠されている。あの、嘗ては冷酷で男性的な寒空で磔にされた機械世界の余白は一変し、情熱的で、受苦にも似た紅蓮の炎や、氾濫的で力強い原色の横溢にみなぎっている。それらは、まさしく、子宮の中に戻ったかのようではないか。・・・・・・これ以上いうべきことは何もあるまい。

 

 

ロベルト・マッタ。一九一一年、チリに生まれ一九九九年没す。

その間の経緯は、以上のとおり、だが、若干の矛盾と余剰をその身に孕ます。

 

 

 

 

 

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