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【開放的人間観】    

〜コミュニケーションを導入に〜

村上 翼

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第三章・アイデンティティの浮遊性と固着性

  第二節・コミュニケーション欲望

 

 

コミュニケーションに関する最大の研究といえば、文化人類学者のマイケル・モースMarcel Maussとレヴィ・ストロースClaude Lévi-Straussによって為された一連の研究を挙げることが出来るだろう。

本節ではこのふたりの研究を考察し、そこから人間の存在定義たるコミュニケーション欲望を詳らかにしたいと考える。

モースの最大の研究のひとつはクラ交換を対象にしたものである。クラ交換とはメラネシアのニューギニア東北海岸からその東方海上に散在する島々をひとつの共同体として、生活必需品の交換とは別に為される交換の一形式である。交換される物はソウラヴァと呼ばれる右巻きの貝によってつくられた首飾りと、ムワリという白い貝で作られた腕輪である。首飾りは東から西へ、腕輪は逆に西から東へと交換されていくのだが、これは交換とはいっても同時に為されるのではない。それは同時に交換をするという限定交換が、交換をそこで完結させてしまうものであるのに対して、別々に交換していく一般交換がその環を閉じさせないからである。また交換の際には儀式が催されるが、それは限られた男性のみが出席を許され、全ては細部にわたる伝統的な規則と慣習に則られており、呪術的なものとなっている。

 モースはこのような交換を研究するうちに、そこに存在する機能を見出すのではなく、社会とは交換をする存在であるという、言わば発想の逆転を為した。つまり交換は社会に対して何らかの意義を有しているのではなく、交換の場が社会なのだ、と。この考えは全体的社会的給付と呼ばれるものである。

 これを発展させたのが構造主義の立役者の一人でもあるストロースである。彼はこれを言語や、それまで普遍的な規範であることは知られていたものの、その理由が解明されていなかったインセスト・タブーに応用した。

インセスト・タブーは全体的社会的給付の原則に従い、つまり女性を男性にとっての交換の品であると解釈することによって解明された。交換される品は手元に留めておくだけで価値が存在するものであってはならないと彼は考える。それは交換を疎外することになり、全体的社会的給付の具現を疎外することになるからだ。そこでインセスト・タブーをつくることによって女性を手元に置いておいては価値のないものとすることによって、交換を促しているのだ。つまりインセスト・タブーは社会の存在定義たる交換を推進するために人類が獲得した知恵だというのである。

この考え、すなわち交換を社会の存在定義であるとし、更に二足歩行であるとか、道具の使用と同様に人間にとっての存在定義であるとする考え、これこそが交換をコミュニケーションの最初形態であると考えたとき、コミュニケーションに関する最大の功績なのであることは疑いようがない。

あるいはガレーゼGallese.V.によるミラー・ニューロンの発見も大きな意味を持つ。これは言語中枢であるブローカ野に存在する神経細胞であり、他者の行為を自らの行為のように引き受けていることを明らかにした共感システムである。しかも言語獲得以前からそれは機能していたとされている。また猿にもこれが存在することがわかっており、するとコミュニケーション特性は人間に固有のものではなく、もっと広範囲な動物全体の特性なのかもしれない。

このように、コミュニケーションとは人間の存在定義のひとつなのである。人間はコミュニケーションを欲し、それに多大の影響を受ける。

それではコミュニケーションはどのような意味をもっているのだろうか。

ミラー・ニューロンなどを考えると、それはほとんど無限なまでに人間に対し、意義と影響を持っているのだろうが、ここではその意義のひとつとして、自立欲望―溶解欲望に対するものを考察することとする。

コミュニケーションを行うということは外的世界への働きかけである。それはつまり、自らの受動的な溶解欲望に基づいていると理解できるのではないだろうか。

それと同時にコミュニケーションは他者の内に自らを送信するということでもある。それは世界を自我で覆うことによって自他の差異を溶解させようという全く逆方向からの能動的な溶解欲望に基づくアプローチなのである。

しかしコミュニケーションは溶解欲望だけに関与したものではない。コミュニケーションを図ることは他者に認知されている自分を感じることを可能にするのだ。他者に認知される自分の認知の意味については既に第二章第二節で述べたが、つまり自他の差異を感じることによって自分の存在を認知することになるのだ。人間は差異を感じるような相対的な手段ではじめて己の存在を実感することが出来る。例えば他者から力強く抱きしめられることに我々は快感を覚えるが、それは他者によって認知される、つまり「今ここにこうして存在する自分」を肯定されたという安心感に加えて、これが作用していると考えることが出来るだろう。あるいは洋服、熱い風呂、摂食、パック療法など様々な場面においてこの働きを検討する必要がある。

つまりコミュニケーションは溶解欲望に基づいて為され、それを自立欲望に変換する装置なのである。従ってコミュニケーション欲望とは自立欲望に存すると考えることも出来るかもしれない。

 

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最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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