その華麗にして匿名性に満ちた歴史 いさび正史
※当正史からは資料の散逸などにより一部の事実が欠落している可能性があります。今後もより完全なものにしていくべく、鋭意調査を進めてまいります。ご了承下さい。
○前史(〜1996)
「チミッチー」結成。
「Xニュース」製作。
「スクほの新聞」作成。
映画「ストーカー」作成(途中断念)。
○平成九年度(1997)
08/19/17/50・いさびの会結成。最初期構成員は六人。(当時「いさび」は略称に過ぎなかったが、現在では正式名称)
12/30・第一回遠征。目的地は嵐山。参加隊員数は四人。
○平成十年度(1998)
02〜・下部組織が乱立する。「空見る会」「中トコ隊」「革D会」など。最盛期、その数は十を超えた。
04/01・第二回遠征。目的地は正丸。参加隊員数は四人。山頂で雪を見る。
07/31・第三回遠征。目的地は正丸。参加隊員数は四人(ただしそのうちの一人は途中で脱会)。
11/03・第四回遠征。目的地は東京湾。参加隊員数はふたり。
12/30・第五回遠征。目的地は正丸。参加隊員数はふたり。東京ラーメン緑茶割り事件発生。
(この年、頻繁に「土曜の会」が催される)
(この年、会員数の増減が相次ぎ、結果として現在の四人に落ち着く。最大会員数は12人)
○平成十一年度(1999)
04/30・雑誌「風飛葉日」創刊号発刊。
06/13・雑誌「風飛葉日」第二号発刊。
07〜・いさびの会及び下部組織をY.P.T.O.として階層組織化。以下、「風飛葉日」の発刊母体はY.P.T.O.となる。
07/19・雑誌「風飛葉日」第三号発刊。
09/04・雑誌「風飛葉日」第四号発刊。
11/07・雑誌「風飛葉日」第五号発刊。
12/22・雑誌「風飛葉日」第六号発刊。(特に宣言等はなかったが事実上の最終号)
(この年、いさびの会会歌「天ぷらday」が製作される)
○平成十二年度(2000)
(事実上の活動休止期間。会員はそれぞれの世界に埋没していた)
○平成十三年度(2001)
(事実上の活動休止期間。会員はそれぞれの世界に埋没していた)
○平成十四年度(2002)
(事実上の活動休止期間。会員はそれぞれの世界に埋没していた)
○平成十五年度(2003)
03/18〜20・第九回遠征。目的地は鬼怒川。参加隊員数は四人。
09/13・いさびの会公式ホームページ作成開始。(翌々月、閉鎖)
○平成十六年度(2004)
03/15・ホームページ「うぃさび」作成開始。
03/26・石神井公園でメールマガジンの発刊が決定。
04/30〜5/1・チャット編集会議。
05/30・ホームページのカウンターが千回転を越える。
05/09・イスラエル料理会議。清水が風邪で欠席。
06/12・「肺」創刊号記念祝賀会(秋元家)。中華料理会食。総員参加。
06/19・メルマガ「肺」創刊号発刊。
07/18・メルマガ「肺」第二号発刊。
07/30・編集会議。遠征について。ウェブリング登録開始。
07/31・「動画/映画作品庫『腸』」立ち上げ。
08/06・当HPを「ジオシティーズ」から「忍者」へ移転する作業を開始。(同月末頃、完了)
08/06・「アナザ・イサビ」と「オンライン・ショップ」を立ち上げ。
08/20・メルマガ「肺」第三号発刊。
08/28・オンライン・ショップ「鳶尾屋敷」開店。
10/17・メルマガ「肺」第四号発刊。
12/26・執行委員会。
○平成十七年度(2005)
01/02・メルマガ「肺」第五号発刊。
02/11・「アナザ・イサビ」本格始動。
02/05・新年会兼執行委員会。
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