手帖 2004 2

 

「アルフォンス・イノウエ銅版画展」

 

秋元汀

 

 

当方が愛玩してやまないアルフォンス・イノウエ氏の個展は、一部の具眼の人々から待望されて久しいが、このたび数年ぶりに銀座にて行われた。

 ただちに、関東の愛好家は行くべきだろう。言うことはこれに尽きているが、じっさい、無名の人間の手放しの讃美が――有名であるとなお事態が悪くなることも多々見られるが――往々にして、そのものの評価をおとしめたり、実見に則して尻すぼみな思いに駆られる事態が繰り返されて久しいので、あえてお粗末ながらレヴューとしてこれを公開したい。

 イノウエ氏のエッチングの美しさや繊細さはまず、画集などの印刷媒体では表現不可能であることは論を待たないだろう。それはこの個展が奢?都館から上梓された画集の刊行記念として開催されたにもかかわらず、当の画集もまたイノウエ氏の線質を残念ながら十分に生かしきれてはいないことで同意できよう(ただし、氏がインスピレーションを受けた詩品をオリジナルの訳で作品とともに附すなど、その豪勢な編集は、望外の収穫といえる)。

氏の作品にかんする賢しらなご講演は他の方々に譲るとして、じっさい、今回の個展に出品された、単品作品、挿絵、蔵書票などの六十点あまりの作品は戦慄にたるすばらしい出来であるといえよう。とくに単品としてつくられた「ロゼッティ『歌』のために」「ブラウニング『イヴリン・ホープのために』T」「ダナエ」などの一連のオマージュは一種脅威とさえいえるし、それらの、ときには数版数色刷をへて、一つの作品として一分の狂いもなく磨き上げられた作品は、氏の技術と芸術性が、ひとつの極にまで達していることを端的にあらわしている。また、画廊の奥まった、袋小路めいた個所には、その性質上、画集においては未収録とせざるをえなかったのであろう、エロティックな蔵書票(しかもそのほとんどに手彩色をほどこしてある)が、ひしめきあい、競い合うかのごとく、抑えられた照明で浮かび上がっているさまは、来客のものにとっていささか共犯めいた相姦を強いるようで、どこか気恥ずかしく、くすぐったくもあり、それゆえに嬉しい気もちにもなる。

ただし残念なことは、出品された作品の大半は画集に収録されものであり、宣伝文句にあった未収録作品もほとんどが奢覇都館で取り扱っているものであったことである。それに、これは当方の個人的な意見だが、当方は氏の最近の作風をあまりこのまない。九十年代までの、幼児性をたたえつつも、むしろ神話的な崇高さと、ときには官能とに、ときにはなかば眠りこむように、或いはそれらを前にして凛とうちふるわす、かような双眸をこのむものにとって、それ以降の、いささか戯画めいたものを思わせる、ふくよかで、子供っぽく、ほてりがちな、表情豊かな〈女〉は、受け容れがたいものがある。今回はそうした九十年代の作品が多く、個人的意見としては非売品でもかまわないのでぜひとも初期の作品も展示してほしかったものだ。ただ、氏の畢生の連作とも言うべき「クリスタベル」シリーズの新作や単品「浮遊する裸体」、そしてその存在自体がほとんど知られていない、氏にしては珍しい、ニッポンのレトロな原風景を描いた「サーカス」シリーズ(おそらく久生十蘭からの影響であろう)の一端を窺い知ることができただけでも存外の収穫といえよう。それらがもはや献身的としかいいようのない良心的価格で揃えられている。これを見逃す手はなかろう。

アルフォンス・イノウエ氏の個展が開催された、ただちに関東の愛好家はこの個展に足を運ぶべきだ――このことをもう一度くりかえして、筆をおきたい。

 

 

 

アルフォンス・イノウエ銅版画展-『Belles Filles』出版記念-
2004年5月17日(月)〜29日(土)11:00〜19:00最終日17:00(日曜休廊)

銀座スパン・アート・ギャラリーにて

 

 


 

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