□ 手帳 2004 W

 

 

 今月、アンリ・カルティエ=ブレッソンが 亡くなった。俗に《決定的瞬間》と呼ばれる写真 の蹟を撮りつづけたのが彼であり、その同名を附し た写真集がその語彙のそもそもの語源であることはいま さら言うまでもないだろう。パリの一角、水はけの悪い、 たえず陰湿なレンガ舗道の陋巷で、なにげなく無邪気に戯れ る子供たちの跳躍や笑顔をモノクロームの世界にみごとな瞬 間事としてとらえるのさまは、ウジューヌ・アジェの朝霧にけ ぶるパリの一角の表情を思わせてあまりある。それにいっさい のトリミングを施さずにネガから《風景》を純粋する、そのス トイックなまでに視線とその延長を主張してやまぬブレッソン もまたアジェそのもののごとくその延長を継いでいた。なにげ ない人の動き、表情――そこにやどる絵画の要素を、軽妙に掬 い取ること。《写真は藝術にあらず》、これはマン・レイがみ ずからのポートレート集に附した題名であるが、そのシュルレ アリスティックでミスティフィカシオンな逆説が、むしろその 半生の矍鑠老獪さを反射せずにいられない《光の人》の心の闇を、さらに斜めがけに、むしろ一抹のユーモアさえかんじる愛らしい冗句に映えるとすれば、たとえば「決定的瞬間」を撮りつづけ、じじつ自らもそうたらんとした写真家が、これらのシュルレアリスムやマン・レイ、そして絵画=芸術という19世紀の延長をトリミングなしで純粋抽出して21世紀の初めに果てたといえるのならば、これほどあっぱれな死もなかろう! ブレッソンの死をここに記す(ただし《冥福を祈る》という形容は似つかわしくないのは以上のとおりだ)。
 
 またもう一人の死をゆくりなくも或る方から、まさしく《青天の霹靂》ともいうべき機に仄聞するにあたってここに哀悼の意をささげたい。
 趣味人・山本芳樹氏がその人である。
 以前からその蒐集の大部を占めていたバイロス公爵のコレクションを美術館に寄贈したり、本国ではきわめて入手困難な、とりどりの版画挿絵本、稀覯本を東京の古書店に惜しげもなく無償で譲っているのを見聞してはいたが、訃報にいたるとはつゆ知らず、無念の思いが尽きない。
 だが、美術評論家の死とは言いがたい。バイロス、ベルメール、アラステア、ポール・エミール・ベカ、エドゥアール・シモー、牽いてはデルヴォー、クリムトにいたるまで、みずからの鍾愛する画家たちをこのんで草するその姿はやはり「趣味人」のそれであって、それらから一歩はなれた冷徹な「批評」というやつとは一線を劃す、むしろ〈審美家〉の姿がそこにあった。またわたしは氏が蒐めた稀覯本のいくつかを閲する機をえたが、それらは一点々々保存性に優れた、堅牢かつシンプルな赤の布ばりの誂え函におさめられ、当時それを求めた書店やオークションのカタログの複製を附しておくという入念さであり、収集家としてもお手本ともいうべき存在であった。むろん蔵書印など、日本独特の蔵書の伝統を海皮の本に押しつけてはいけないとでもいいたげに、それらにはかわって某氏によるすばらしい仕事の雁皮紙刷蔵書票がつつましやかに貼られているとあっては、もはやいうべきことは一つしかあるまい。
とりわけバイロスの蒐集には並々ならぬものがあった。この、ビアズレー、フェリシアン・ロップなどの衣鉢を継ぐ、エロスの公爵による美麗な匿名挿絵本や蔵書票のほとんどをその手におさめ、ついには自筆ものや原画にいたるまで遍くその手をひろげて収め、いちれんのバイロス紹介の嚆矢ともいうべき『バイロス画集』(じっさいには主にドイツの画商、クラウス・シュティーベルンの紹介によるものらしいが詳らかには判らない)の編纂・協力、のちの敷衍化に一役かって、日本出版会の表現基準を大幅に修正せしめるに至ったともいえる。それだけに『わが密室を飾るエロスの画家』『バイロス公爵画集』の二冊のみをのこして(「緑の笛豆本の会」から上梓されたバイロス関連二著は、図版の大幅収録と原稿の遺漏を正して後者に〈決定版〉として全て再録された)、泉下の人となられたのは残念でならない。ここに哀悼の意を捧げる。

 

 


 

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